http://blog.actosmember.com/trackback.php?id=1507
※記事と直接関係のない内容のトラックバックはお断りする場合があります。ご了承ください。
懸けないほうが続くかもしれませんよ。
昨日の続きです。
迷った時に選択肢を「二択」にしてしまう人。
その方の特徴でしたね。
それはね、「一生懸命」なんです。
それのどこが悪いんだと思いますよね?
別に悪くありませんよ(笑)
何かに打ち込めることは、大いに結構です。
ただ、何でも全力投球してしまう人は、視野が狭くなりがちです。
事が順調に進んでいるときは、いいんです。
そのエネルギーが推進力になります。
でも、壁にぶち当たった時、「二択」にしちゃうんです。
視野が狭くなると、「3つめのアイデア」は出てきません。
こういう人は、迷う時でもこんな感じです。
「私は、仕事命でいいんだ。」
「いやでも、ほんとは仕事命ではいけないのかもしれない。」
こういう二択ですね。
昨日、申し上げましたね。
二択だと、迷って、立ち止まるんです。
これは、一生懸命な人ほど、迷います。
責任感や使命感なんかを余計に背負い込んでいるからです。
でも、迷っているから、何をするにしても、腰がひけるんです。
順調な時のようなパワーは生まれません。
で、結果も思わしくないから、余計に悩む。
この悪循環に陥ります。
かたやこういう人もいらっしゃいます。
「仕事だけが人生じゃない。」
こういう人は、「第3のアイデア」を持ちやすいんです。
「それも人生だけど、それだけが人生じゃないよね。」
って、思えるわけです。
高度成長期の日本のサラリーマンは、「会社命」の人が多かったはずです。
会社が倒産したり、外資に買収されたりすると、急にしぼみこんでしまいます。
また、そうでなくても、定年退職すると、気が抜けたようになってしまいます。
「恋人命」も同じですね。
例えば、恋人が仕事で忙しくなるとします。
すると、もう寂しくて耐えられなくなるんです。
で、「もう別れる」となりやすい。
「○○だけが人生じゃない。」
と思っているほうが、余分な力が入りません。
余分な力が入ると、うまくいかないことは分かりますよね。
結局、力を抜いたほうが「○○に打ち込める」というパラドックス(逆説)が起こります。
ここで、誤解しないでくださいね。
「サボってる」と「余分な力が抜ける」とは違いますからね。
また、物事には、トラブルがつきものです。
でも、余分な力が抜けていると、トラブルがあっても続けられる強さが生まれるんです。
それは、心の余裕があってこそ、為(な)せる業(わざ)ですね。
それにはね、余計なものを背負わないことです。
「二択」の方は、ほっておいても責任感の強い人です。
そんな人にそれ以上、背負わせてはいけません。
身体を壊すまで突き詰めてしまうからです。
「このプロジェクトには、社運がかかっている。」
「これを失敗すると、待ち望んでいる多くの人に迷惑がかかる。」
「私がいないと、職場はうまくいかない。」
こういうミッションや使命感に燃えすぎると、危険です。
そういう人こそ、こう思ってみてはいかがでしょう。
「たかが○○だ。」
「まあ、世の中全体から考えれば、大したことないじゃないか。」
「私がいなくても、最終的にはどうにかなるよね。」
こういう人の方が「鬱(うつ)」になりません。
「鬱」は、真面目な人しかならないんです。
それは、自分で「逃げ道」をなくしてしまうから。
今、何かに「人生を懸けて」いらっしゃいますか?
だったら、こう考えてみてはいかがでしょう。
「好きだから、やっている。」
これだと、追い込まれませんよ(笑)
二択になりがちな方は、ちょっと振り返られてみてはいかがでしょう。
そういう私も典型的な「二択」人間でした。
よく体調を崩すくらいに思い詰めたこともありました。
まさに、自作自演ですね。
病気は自分でつくるもの。
身にしみましたね。
そうそう、今日、シータヒーリングを受けに来て頂いたNさんに言われました。
Nさんは、毎日、「まなブログ」をご覧頂いているそうです。
で、こう言われました。
「時々、サボりはるでしょ?あれがいいんです(笑)」
思わず笑ってしまいました。
ありがたいお言葉ですね。
ああ、私も「二択」から卒業できたんだなあ。
と思えた瞬間です。
Nさん、貴重な気づきをありがとうございます。
ということで、今宵はこのあたりで。
コメント
コメントを書く