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ファンには定番のセリフですね。
いやあ、照喜名先生の上陸作戦、終わっちゃいましたね。
まさか5部作になるとは、私も考えてませんでした。
それでも、全て書き切れたとは思ってないんです。
それだけ、濃密な凝縮されたひと時。
おかげで、すっかりやつれてしまいました(笑)
やっと回復してきた今日この頃。
今回、照喜名先生の尊い犠牲の上に頂いた気づき。
ちょっと私なりに回想してみたいと思います。
タイトルをご覧になって、「伝説シリーズ」だと思った方。
ごめんなさい、今回はネタじゃないんですよ。
出世したかったんです。
できると思ってましたし。
トップは無理でも、そこそこは。
コレ、サラリーマン時代の私です。
私は、これまでの人生で味わったことがないんです。
「努力をした」
という実感が。
頑張らなくても、そこそこできたんです。
受験も、就職活動も。
要領がいいほうなんでしょうね。
できるだけ楽をして、結果を出したい。
だから、必死になるまで追い込まれたこともありません。
ましてや、自分を追い込んだことも。
それでも、ある程度は、出世できると思っていました。
では、なぜ、出世したいのか?
年収が増えるから?
それもあるでしょう。
でも、自分の存在を認めてもらえるってところが大きかったでしょうね。
今、思えば、コレ、勘違いもいいところですよね(笑)
社会的地位を「自分」に投影していたんです。
幻想ですよね、全く。
そんなのすぐに消えてしまう虚像です。
っていうか、寂しいんですよ。
で、不安なんです。
自分自身でも薄ら気づいているんです。
そんな凍えるようにか細い「自分」を。
だから、温かく包んでくれる衣が欲しい。
そのひとつが、虚栄心。
それを何枚も着重ねしていけば、満たされるのではないか?
か細い「自分」が大きくなれるのではないか?
・・・だったと思うんです、当時の私は。
でもね、それって、ほんとの「自分」なんでしょうか?
いえ、よく言われるこの質問には、語弊があることに最近、気づきました。
もちろん、そんな見栄をはるのも「自分」です。
そんな弱さを含んでいることも「自分」に与えられた要素のひとつ。
神様からの愛情に満ちたプレゼントだと思います。
日々の生活に追われている私たち。
ところで、その「私」って、誰なんでしょうね?
この仕事に就かせてもらって、ほんと思うんです。
ほとんどの方の「私」って、頭で考えた「私」で生活されています。
ええ、もちろん、かく言う私もそうです(笑)
出世を目標にしていた私がそうですね。
まだまだ、頭でっかちですけど。
頭って、この世で得た経験を智恵に変えるための道具なんでしょうね。
そういう風に使ったらいいんじゃないのと、神様が与えてくれた。
でも、損得勘定や見栄や執着。
これも、頭がしっかり生み出してくれますね。
こういう様々な悩みのタネにも事欠かないような能力も付加してくれました。
神様は、決して、私たちを悩み苦しませるために、こんな能力を与えてくれたんじゃないと思います。
気づきを得るためには、一度、そこに溺れる必要があるんじゃないでしょうか。
きっと良かれと思って、そうしてくれているんですよ。
ただ、動物や植物を見ていると分かります。
彼らは、「生命」として生きています。
ヒトが頭で生み出す執着は、何一つ、持ち合わせていません。
酷寒の地。
ブリザードが吹きすさぶ厳しい環境で「生」を与えられた一輪の花。
できたら、温帯の雨も日光も風も適度な土地に生まれたかったなあ。
なんて、不満を漏らしません。
ただ、与えられた生を全うするだけ。
だから、私たち、ヒトにもいるはずですね。
「生命」としての「私」が。
生命の維持安定だけを最優先にする「私」が。
どうしても、会社に行きたくない「私」。
理不尽にも押しつけられた仕事。
期日が迫っているのに、見通しの立っていない仕事。
良心が痛むけど、やらなきゃいけない仕事。
当然、強いストレスが溜まります。
でも、行かないと、立場的に追い詰められるし、社会人として失格の烙印を押される。
最悪、クビになってしまうかもしれない。
この不況下のご時世。
そんなことでは、先行き真っ暗。
「行かなきゃ、仕方がないよなあ。」
頭で考える「私」は、そう言います。
しかし、生命としての「私」は、そんなところに行きたくありません。
そんな生命として居心地の悪いところに。
あなたの立場がどうなろうと、会社をクビになろうと、知ったこっちゃないんです。
失業して、惨めだろうと、カッコ悪かろうと。
でも、ほっておくと、頭で考えた私が、毎日、会社に行っちゃいます。
そこで、生命としての「私」は考えます。
「だったら、行けないようにしてしまおう。」
ある朝、突然、足にしびれが走ります。
歩行も困難なほど、強烈に。
病院に行って検査をしても、異常なし。
いろんな治療法を受けてみるけど、効果なし。
全くの原因不明。
これが、「頭」と「心」の乖離が生み出す病気。
でも、こう見ていくと、「病気」じゃないでしょ?
まさしく「メッセージ」であることが分かります。
そう、生命としての「私」からの。
で、こんな方に、鎮痛剤を出してもダメでしょ?
低周波治療器をあてたところで、何の解決にもならないことは明らかでしょう。
病気は、医者が治すのではなく、自分で治るもの。
「メッセージ」から「気づき」を得て、「頭」と「心」を一致させる。
すると、生命としての「私」は、もうメッセージを出す必要がなくなるわけです。
私のお客さんでもたくさんいらっしゃいます。
日曜日になると、身体が楽になる方が。
だから、私は学ばせてもらったわけです。
今、目の前にある症状を楽にする技術も必要。
でも、本質的に観なければいけないのは、「人」なんだと。
その人の考え方、価値観、生き様こそ、観させてもらわなくちゃいけないって。
生命って、ほんと偉大で深遠です。
でも、その真理は、すごくシンプルです。
複雑にしているのは、頭で考える「私」たち。
逆に、複雑であることを言い訳にしているんです。
真理を直視する勇気がないから。
薄々自分でも気付いているんですけどね。
で、ここで、Yさんです。
なんと長い前置きなんでしょう(笑)
でも、「続きは明日」にしないだけ、ご容赦くださいね。
Yさんは、股関節に障害があって、歩行が困難です。
特に、右足が深刻で、「もう回復することはない」と、お医者さんから宣告を受けられています。
しかも、股関節だけではありません。
これまで、6回、身体にメスが入っています。
女性としては、ほんとにつらい手術も受けられています。
いつもネタにしていますけどね。
Yさんが、涙ながらに過去を語られることも、実はあるんです。
もし、あなたが、身体に6回もメスが入るような手術を受けて来られたら、いかがでしょう?
自分は、なんて不幸なんだと思いませんか?
そんな自分の運命を嘆きませんか?
健康で自由に動き回られる人を見て、うらやんだりしないでしょうか?
私なら、そうなってしまうでしょうね。
これは、自信があります。
でもね、Yさんは、笑って話せるんです。
「この右足はね・・・(後略)。」
そう、同じなんです。
「このラッキョはね・・・(後略)」と。
まるで、おかずの解説をされるのと同じ口調で。
Yさんの今の身体。
「不便」であっても、決して「不幸」ではないんです。
今、与えられた身体で、いかに人生を楽しむか?
人をうらやんでいるなんて、そんな損なこと、している暇はありません。
でね。
Yさんって、ほんと自由奔放でしょ?
そうそう、先日、お邪魔したら、また、増えてましたからね。
近鉄百貨店のカゴ。
返すどころか、また、パクって・・・いえ、借りて来られたんですね(笑)
照喜名先生もおっしゃってましたね。
ほんと「ピュア」だって。
つまり、生命としての「私」とうまく付き合っておられるんですよ。
そりゃ、社会生活を送っているかぎり、難しいですよ。
生命としての「私そのまま」っていうのは。
それを認識しながらも、どこかで現実と折り合いをつけていかなければなりません。
でも、同じ行動を取ることになるとしても違うんですよ。
頭のみで出した答えとは。
頭で考えた「私」は、こうだよね。
でも、生命としての「私」は、こうなの。
現実を見すえると、こうしなきゃいけないよね。
だから、この部分は生命としての「私」にちょっと我慢してもらおう。
だけど、この部分は、見栄だけで決めたことだから、やめておこう。
多少批判をもらったとしても。
こんな風に、「私」と「私」がうまく付き合えたらいいなと思うわけです。
そう、頭で考えた「私」も私。
誰でもないほんとの「私」。
受け容れて、味方になってあげないと。
頭で考えた「私」と生命としての「私」って、天秤の上にのっかっているようなもの。
どちらかが重くなると、片方は軽くなる。
それらが、ちょうどバランスよく釣り合えるような生き方。
頭が生み出してくれる「智恵」を活かした生き方。
そんな生き方が、今の私の理想です。
その点、Yさんは、まさにお手本ですね。
生命としての「私」が、輝きまくっています。
「頭」に偏りがちな私は、その生き方に無条件降伏。
まさに、「ポツダム宣言」。
Yさんと接しているだけで、活性化してくるんです。
自分の中でおとなしくさせられている生命としての「私」が。
そう、輝ける「生命としてのYさん」に共鳴しているんでしょうね。
でも、どうやって、生命としての「私」とうまく付き合えるんでしょうね。
というより、「付き合う」前に。
まず、「知る」ことですよね。
それには、身体がいろんなサインを出してくれています。
はい、毎日、この瞬間も。
ご本人が気付いていないだけです。
東洋医学では、そんな先人の智恵が凝縮されています。
その智恵を頭で考えた「私」に学んでもらう。
そう、生命としての「私」が、さらに輝けるように。
それが、私の今の仕事における「志」ですね。
そう、気付かせてもらいました。
ちょうどいちごさんにプレゼントしてもらった講演の機会。
タイトル「『私』と仲良くなるここだけの話」。
つまり、ここでいう「私」とは、生命としての「私」ですね。
「私=谷田学」ではないですからね。
でも、仲良くしてくださいね(笑)
「ここだけの話」。
って、まず、「ここだけ」になりませんよね(笑)
逆説的に使わせてもらいました。
頭で考えた「私」と生命としての「私」が、うまく付き合える生き方。
それを形にする第一歩にしたいと考えています。
ご縁を頂けるあなたとお会いできますことを楽しみにしています。
って、講演で伝えたかった想い、ほとんどしゃべってしまったじゃないか!
う~む、これは、「ないことないこと」でお茶をにごすしかあるまい(笑)
でね、講演なんですけど、私は大好きなんです。
ペースもちょうど月1~2回でね。
いろんなところへ行けるしね。
いろんな方にお会いできるしね。
日常生活のいいアクセントになるんです。
最近、以前にも増して講演させてもらうのが楽しみです。
「何かを伝えなければならない。」
っていう使命感から解放されてから。
そりゃ、お金をもらってるわけですから、それなりの質を高めることは考えますよ。
でも、それが使命感になっては、ダメ。
それをモチベーションにしちゃうと、「輝き」が失われるんです。
生命としての「私」のね。
昨今、学校でも、企業でも、輝きが失われているのは、そこじゃないでしょうか。
ただ、講演するのが楽しいから、させてもらうんです。
人は、言葉そのものに心を動かされるんじゃないと思うんです。
その言葉を発している人。
その生命の輝きに共振するんだと。
物事を義務や使命感ではなく、楽しみながらやっている人の発信するメッセージ。
そういうメッセージを常に発信していれば、きっと共鳴してくれる方が支援してくれます。
Yさんに支援者が多いのも頷けますね。
ところで、生命としての「私」。
これを深めると、つながってくると思うんです。
魂としての「私」と。
じゃあ、それは、明日にしましょうか。
こんなまとまりのない長文。
最後までご覧頂いてありがとうございます。
ネットを通じて、あなたとご縁を頂いたことを感謝します。
では、今宵はこのあたりで。
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